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横浜綜合法律事務所 アーカイブ

心に残る事件「試合開始まであと3時間」

弁護士登録をしてから25年が過ぎた。今まで手がけた事件の中に、記憶に残る事件は数多くあるが、最もしんどかった事件といえば、あの事件である事は間違いない。

私は、当時とあるプロスポーツチームの契約書のチェックなどをボランティアでしていた。このチームはサポーターがチームを支えており、その心意気に共鳴したからだ。そしてチームも翌年1部リーグに昇格することがほぼ決定した。ところがある日、当時の社長から、とてもボランティアではお願いできない事態が発生いたしましたとの申し入れがあった。紛争の内容はとても複雑でこの場で説明できるものではないが、簡単に言うと、このチームの運営会社は三人がほぼ等分で株式を所有しており、そのうちの一人が代表取締役となっているが、他の二人が代表取締役を解任し新たなる経営体制に移行したいと要請してきたのである。しかし、この二人は、その時会社の経営には関与しておらず、当時の代表取締役以下会社の従業員はこれに猛反発し、もしそんなことになったらみんな会社を辞めると結束していた。代表取締役が二人の要請を拒否すると、株主総会の開催を要請してきた。これも拒否すると、株主による株主総会開催の請求手続を行ってきた。そこで、これに対抗するため、敵対的増資の手続を取り始めたところ、相手方はネット上で、会社がチームをどこかに売ろうとしているという噂を流した。

このままでは昇格できなくなってしまう可能性があると、みんなで必死に事態の収拾を模索した。そして、最終戦の前日、会社から、「株主三人が株を手放すことで合意した。明日の最終戦の前の午前10時に競技場で合意書の調印をするので、先生にも立ち会って欲しい」と連絡があった。この連絡を受けて私は心底ほっとした。そして、当日、最終戦の観戦を楽しみにして競技場に向かった。

ところが、話は違っていた。合意など何も出来ていなかった。相手方は二人とも株を譲る気などないという。法律的には、3分の2の株主の賛成があれば、取締役の選任、解任は自由であり、会社側の負けは確実である。さあ困ったなあと思っていたところ、試合開始までに何とか話をつけて欲しいと頼まれた。試合開始は午後1時。あと3時間しかない。交渉場所は、試合会場の本部。試合関係者等他の人がひっきりなしに出入りする。双方の関係者もたくさん成り行きを見守っている。衆人環視の中でこの絶望的な交渉か・・・と天を仰いだ。しかし、逃げるわけにはいかない。この日、私の中では午前10時に試合開始のホィッスルが鳴ったのである。

交渉の詳細をここに書くことはできないが、幾度となく怒号や泣き声が飛び交うタフな交渉だった。交渉が開始されてから2時間以上経過したときだったと思うが、このまま交渉が決裂したらどうなるかという話になった。私が相手方に「そうなったら、今日の交渉に至るまでの経過、今日の交渉でどんな話がされたかをマスメディアに公表するだけだ」と言った。もし、君たちがこのチームを奪い取り、それが法律的に許されるとしても、本当に社会がそれを許すのか、君たちがそれを受け止め、チームを責任持って運営する覚悟があるのか、その覚悟を問うたつもりであった。

結局、相手方は、株主三人が全ての株を無償で手放すことに同意した。この人たちは、社会から非難を受けてもなお、チームのオーナーとして責任を持って経営する覚悟があるのだろうか。交渉をしている中で、私がふと感じた疑問が、解決の突破口となったのである。数枚の合意書を作成し、全て調印が終わったのが12時45分。試合開始15分前であった。

今ではこの会社は株主構成も社員もほとんど入れ替わり、社内でこの事件の当時を知る者はほとんどいないと思う。記録には残っていないかもしれないが、私の中には頑張って会社とチームを守ったというひそかな満足感が残っている。

2021年7月26日

仰げば尊し

先日高校のクラス会が開催された。クラスメイトは、それなりに年齢を重ねていたが、話し始めると時間が瞬時に高校生当時に遡ってしまうのが不思議である。このクラス会で私が最も嬉しかったのは、担任のY先生と久しぶりにお会い出来たことである。

高校生の私は決して優等生ではなかった。ラグビーをするために通学していた様なもので、遅刻の常習犯。授業はサボるし、興味ある科目しか勉強しなかったので、成績は乱高下。斜に構えているところがあり、とても扱いにくい生徒であったと思う。そんな私をY先生は気にかけてくれてはいたが、特段注意することなく、「お前は大器晩成だから」といって自由にさせてくれていた。今となれば、それは忍耐のいることだと容易に理解できる。二十歳になり高校生活の不徳を反省し、十年間は将来の自分のために投資をしようと決心して勉強を始め、その後司法試験を受けることになったが、当時の司法試験は合格率数パーセントの超難関。この受験勉強は本当に辛かったが、心が折れそうになったとき、ふとY先生の「お前は大器晩成だから」という言葉を思い出した。高校時代、私を信頼し自由奔放な学生生活を許してくれた先生の信頼に応えたい、そんな気持ちが受験生活を支える一助となっていた。

二十歳のとき同窓会でお会いして以来、Y先生とは35年振りである。先生に、現在弁護士であること、数年前に横浜国大のロースクールで教鞭を取っていたこと、司法研修所の民事弁護教官として後進の指導をしていたこと、今は法務省から委嘱され公務に携わっていることなどを報告し、型に嵌めようとせずに見守ってくれていた先生の度量に感謝の気持ちを直接伝えることが出来た。

高校生の当時はなんて恥ずかしい歌であると思っていたが、今は素直に唱えることが出来る。「仰げば尊し、わが師の恩」である。

2020年8月31日

左部 明宏「なぜ司法修習制度が必要なのか」

平成25年4月から平成28年3月までの3年間、最高裁判所司法研修所の民事弁護教官を務めた。裁判官・検察官・弁護士になるためには司法試験に合格しなければならないということはよく知られているが、それだけではこれら法曹になることは出来ない。司法研修所における司法修習を終了し、最後に2回試験と言われる試験に合格しなければ、法曹になることは出来ないのである。

なぜ司法試験に合格した後にさらに研修を課さなければならないのか、市場原理、自由競争に任せて、能力の無い法曹は自然淘汰されればいいのではないか、そんな声もよく聞く。確かに、司法研修所の運営や施設の維持管理、職員・教官の報酬、数年前までは司法修習生に給与が支払われており、決して少なくない税金が使われている。だから、裁判官・検察官は採用した後にそれぞれ裁判官研修・検察官研修を実施すればよいのではないか、弁護士も、法律事務所が雇用した弁護士の能力向上に責任を負えばよいし、どの事務所にも属さない新人弁護士がいたとしても、能力がなければ淘汰されるだけであり、弁護士の能力向上のために税金を使う必要はない、という主張である。もっともらしい意見であるが、おそらく法曹界の中でかような主張を支持する人はごく少数であると思われる。それはなぜだろうか。

現実的な理由としては、裁判官・検察官にとっては司法修習期間が良き人材をリクルートする機会となっているということである。司法試験の成績だけでは、その人が裁判官・検察官に適した能力を本当に持っているかを知ることは出来ない。また、人格的、精神的にこれらの職業に耐えうるか、試験だけでは判断できない。修習中に与えられた課題にいかに向き合っているか、また普段どのような立ち居振る舞いをしているか総合的に見て適性を判断することが出来る機会となっているのである。

弁護士会としては、少し違う理由がある。おそらく、弁護士として最低限の質を確保したうえで法曹として世に出さなければならない。弁護士として最低限の基準はクリアしてもらわなければ弁護士に対する信頼を壊してしまうことになりかねないと思っている。

しかし、司法修習制度が必要とされる真の理由は、このような内部だけの都合によるものではない。真の理由はもっと大きなところにある。想像して欲しい。自分や身内が事件や裁判に巻き込まれたとき、能力の劣る、人格のおかしい裁判官や検察官に事件を処理され、裁判が行われたとしたら、その判決に素直に従うことが出来るだろうか。一生に一度あるかないかのトラブルに巻き込まれ、その処理をインターネットで探した弁護士に依頼したところ、その弁護士はろくに法律も知らず、裁判の対応も素人同然だったとしたら、訴訟に負けても納得できるだろうか。その人にとって一生に一度あるかないかのトラブルである。どの弁護士に依頼するかは自由なのだから、良い弁護士と悪い弁護士を見分ける能力を持っていない者が悪いと言い切れるだろうか。そして、なによりも紛争や裁判を法に従って適切に解決するためには、能力を持った法律家がお互いの意見を戦わせることが必要なのである。きちんとした法的能力を有する者同士が真剣に争うからこそ、真の争点があらわれ、当事者の納得する解決が得られ、批判に耐えうる判決がされることになる。

司法研修所制度は、このように法治国家を維持する一つのシステムなのである。良き人材の確保が国民の信頼に値する裁判制度、検察制度の基礎となることは疑いの無い事実であるし、弁護士の質を確保することは、法治国家を草の根から支えることに他ならないし、弁護士制度に対する信頼の確保につながるのである。法曹となろうとするものを一堂に集め、きちんと教育をすることにより、一定の能力と共通の価値観を有する法曹を育てることが出来る。そして、彼らを研修所から実務家法曹として送り出すことにより、法の下、安定した紛争解決システムが機能するのである。

司法修習システムは、あまりなじみがないと思うが、このような役割を持って運用されていることを理解して欲しい。

2016年11月9日

左部 明宏「最終講義」

去年の11月に、司法研修所の最終講義を行った。8月からA班B班と2か月づつ、合計4か月間に亘って実施された集合修習が無事終了したことになる。それぞれ2か月間、民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護の5教科について鍛え込まれた修習生も大変であっただろうが、教壇に立って教える方もとても大変であった。最終講義では、これから法曹になる修習生に対し、先輩弁護士として最後のメッセージを送った。教え子たちは、私の贈る言葉をどんな気持ちで受け取ってくれただろうか。
あとは、5日間に亘り実施される通称二回試験(修了試験のようなものである)に合格すれば、修習生は晴れて法曹資格を取得する。修習67期の私の教え子の修習生は2クラスで合計141人。教え子達が法律家として世に羽ばたいて行き、活躍することを祈るばかりである。

2015年3月9日

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