横浜綜合法律事務所 コラム

左部 明宏「なぜ司法修習制度が必要なのか」

平成25年4月から平成28年3月までの3年間、最高裁判所司法研修所の民事弁護教官を務めた。裁判官・検察官・弁護士になるためには司法試験に合格しなければならないということはよく知られているが、それだけではこれら法曹になることは出来ない。司法研修所における司法修習を終了し、最後に2回試験と言われる試験に合格しなければ、法曹になることは出来ないのである。

なぜ司法試験に合格した後にさらに研修を課さなければならないのか、市場原理、自由競争に任せて、能力の無い法曹は自然淘汰されればいいのではないか、そんな声もよく聞く。確かに、司法研修所の運営や施設の維持管理、職員・教官の報酬、数年前までは司法修習生に給与が支払われており、決して少なくない税金が使われている。だから、裁判官・検察官は採用した後にそれぞれ裁判官研修・検察官研修を実施すればよいのではないか、弁護士も、法律事務所が雇用した弁護士の能力向上に責任を負えばよいし、どの事務所にも属さない新人弁護士がいたとしても、能力がなければ淘汰されるだけであり、弁護士の能力向上のために税金を使う必要はない、という主張である。もっともらしい意見であるが、おそらく法曹界の中でかような主張を支持する人はごく少数であると思われる。それはなぜだろうか。

現実的な理由としては、裁判官・検察官にとっては司法修習期間が良き人材をリクルートする機会となっているということである。司法試験の成績だけでは、その人が裁判官・検察官に適した能力を本当に持っているかを知ることは出来ない。また、人格的、精神的にこれらの職業に耐えうるか、試験だけでは判断できない。修習中に与えられた課題にいかに向き合っているか、また普段どのような立ち居振る舞いをしているか総合的に見て適性を判断することが出来る機会となっているのである。

弁護士会としては、少し違う理由がある。おそらく、弁護士として最低限の質を確保したうえで法曹として世に出さなければならない。弁護士として最低限の基準はクリアしてもらわなければ弁護士に対する信頼を壊してしまうことになりかねないと思っている。

しかし、司法修習制度が必要とされる真の理由は、このような内部だけの都合によるものではない。真の理由はもっと大きなところにある。想像して欲しい。自分や身内が事件や裁判に巻き込まれたとき、能力の劣る、人格のおかしい裁判官や検察官に事件を処理され、裁判が行われたとしたら、その判決に素直に従うことが出来るだろうか。一生に一度あるかないかのトラブルに巻き込まれ、その処理をインターネットで探した弁護士に依頼したところ、その弁護士はろくに法律も知らず、裁判の対応も素人同然だったとしたら、訴訟に負けても納得できるだろうか。その人にとって一生に一度あるかないかのトラブルである。どの弁護士に依頼するかは自由なのだから、良い弁護士と悪い弁護士を見分ける能力を持っていない者が悪いと言い切れるだろうか。そして、なによりも紛争や裁判を法に従って適切に解決するためには、能力を持った法律家がお互いの意見を戦わせることが必要なのである。きちんとした法的能力を有する者同士が真剣に争うからこそ、真の争点があらわれ、当事者の納得する解決が得られ、批判に耐えうる判決がされることになる。

司法研修所制度は、このように法治国家を維持する一つのシステムなのである。良き人材の確保が国民の信頼に値する裁判制度、検察制度の基礎となることは疑いの無い事実であるし、弁護士の質を確保することは、法治国家を草の根から支えることに他ならないし、弁護士制度に対する信頼の確保につながるのである。法曹となろうとするものを一堂に集め、きちんと教育をすることにより、一定の能力と共通の価値観を有する法曹を育てることが出来る。そして、彼らを研修所から実務家法曹として送り出すことにより、法の下、安定した紛争解決システムが機能するのである。

司法修習システムは、あまりなじみがないと思うが、このような役割を持って運用されていることを理解して欲しい。

2016年11月9日

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