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横浜綜合法律事務所 アーカイブ

組織のトップ

これまで様々な組織に関わり、また、近くで見聞きしてきたが、組織は、どんな組織であれ、そのトップが誰かによって大きく変わりうるものであるとともに、ナンバー2とは全く違う役割と責任があるのだと実感している。
トップがどのような考えを持ちどのような方針で組織を運営するかによって、組織のありようや成長度合いは変わる。基本的方針や判断基準、どこを見ているか、どこまでの時間軸で考えているか、どこまでの広さでものを見ているか、そしてそれをどう発信するかで、組織全体の方向性や活性度は変わり、構成員の考えも変わってくる。つまり、組織にとってみれば、トップが誰であるかは極めて重要なことになる。

逆からみると、組織のトップは究極的に孤独なのだろうと思う。自らの判断で組織が変わることやそれによる影響の大きさを考えると、決断の重さは計り知れない。特に、危機が訪れた場合や長年の慣行を変える決断をする場合には、抵抗への対応含め相応の馬力もいる。

会社という組織で言えば、トップは社長やCEOといった経営トップになる。この経営トップの交代と後継者指名は、企業価値を大きく左右する、企業経営における最も重要な意思決定の一つだと言われており、どの会社も頭を悩ます大問題である。昨今のコーポレートガバナンス改革では、これまで不透明になりがちだった決定プロセスにも客観的視点を取り入れることが推奨されるようになったが、果たしてどうか。

昨年の東京オリンピックで大活躍した日本柔道界では、井上康生氏が代表監督になり、以前とは大きく異なる強化方針をたてて組織改革をし、それが実を結んだという。まさに、トップが組織を変えて成功したということだろう。また、先日は、新庄剛志氏が日本ハムファイターズの監督に就任したというニュースが流れた。新庄監督の誕生によりどんなチームになるのかとても楽しみである。

2022年6月17日

新たな楽しみ

最近、日本料理を仕事としていた友人から、料理を習い始めた。これまで、料理は適当になんとなく作っており、本やスマホで探したレシピを参考にする程度で、きちんと習ったことはなかったが、友人が作った懐石料理(お茶会のときにいただいた)があまりに美味しくて、自分でもこんなお料理ができたら・・と思い、教えてもらうことに相成ったのである。

さて、お料理教室。まずはじめに教えてもらったのが、日本料理の基本、昆布と鰹節でひく出汁である。昆布は水から入れて沸騰する直前に出し、沸騰したら鰹節を入れる、くらいのことは知っていたが、時間のかけ方やかきまぜたりせず静かにして漉すことなどいくつかのポイントを教えてもらい、美しい透き通ったお出汁ができた。最近は、出汁専門店が出しているパックのお出汁もなかなかに美味しく、簡単なので重宝していたが、やはり昆布の鰹節でひく出汁には到底かなわない。きれいなお出汁がとれたら、これを使って汁物や煮物をつくる。教えてもらった鯛と蕪のお椀は、ふわーっとたちのぼる出汁の香りがたまらない・・。酢の物もひいた出汁を使うと優しい味に仕上がり大満足である。いんげんの胡麻和えも、すりたてのごまを出汁でのばしてつくると、本当に美味しい。昆布と鰹節だけでこんなに美味しいものができることを知った次第である。

つい先日は、イサキの木の芽焼を習った。塩をふって30分おいておくことや、皮目に細かい包丁目を入れると皮と身の間の脂が外に出て皮目がぱりっとすること、串をさしてイサキをうねらせて焼くと火がいきわたりやすいこと等々を教えてもらい、いざ焼いてみると、皮目がパリッと、実はふっくら。それに木の目を包丁でたたいて香りを出してふりかけると、思わず笑みがこぼれる美味しさ。また、刺身の切り方で美味しさが全然違うということで、刺身包丁を新調し、こんにゃくで練習していざ挑戦。これが友人の先生のとはだいぶ違う結果に。刺身包丁の使い方はまだまだ修練が必要である。

新たな楽しみを見つけ、懐石料理とまではいかぬとも、憧れの「料理のできる女性」目指してレパートリーを増やしたいと思う今日この頃である。

2020年9月25日

恋文の公開

先日、日本経済新聞に、作家遠藤周作が恋人に宛てて書いた手紙が見つかったとの記事が掲載されていた。しばらく前にも、川端康成や谷崎潤一郎の同じような記事を見たことがある。著名な作家になると、最もプライベートな恋文までが研究対象となり、そして、一般に公開されてしまう。当の本人たちは、これをどう思うのか。こんなことなら、もう少し考えて書けばよかったと考えるのではないだろうか・・。ただ、羞恥心を感じるのではないかと思うのは一般人的感覚で、偉大な作家は、小説などの作品自体が自身の魂の暴露であるから、恋文が公開されようと特段なにも思わないのかもしれない。

また、マリリン・モンローの2番目の夫であるジョー・ジマジオがモンローに宛てて書いたラブレターが競売により1000万円で落札された、との記事も見たことがあるが、これを本人たちがどう思うのかも別の意味で興味深いところである。

これらを法的に考えてみると、「プライバシー侵害」というのが頭に浮かぶが、著名人であるということを除いても、そもそも死者のプライバシーは認められるのかという問題もある。また、個人情報保護法の保護対象は「生存する個人」に関する情報であるため、保護される個人情報にはあたらない。ということは、自分が生きている間に自分で始末しておく必要があるということである。忘れてなければ、だが。

一般人にとってはラブレターが公開されるなどというのはいらぬ心配だが、最近では、メールやラインの内容が裁判の証拠となることはよくあることであり、国会でも話題である。メールやラインは手軽であるため、そう深く考えもせずにやり取りがなされ、そして残ってしまう。後悔しても後の祭りである。ただ、よくよく練って作成した手紙の方が、後々見ると、赤面するかもしれないので、どちらがいいとも言えないが・・・。また、リベンジポルノなど深刻な事態も問題になっている。
いずれにしても、自己の情報の管理には細心の注意が必要である。

2020年7月17日

裁判における「鑑定」

裁判では、争点につき専門的な判断が必要な場合、専門家による「鑑定」がなされることがある。鑑定には、人の同一性や血縁関係の有無に関するDNA鑑定、不動産価格に関する不動産鑑定、筆跡の同一性に関する筆跡鑑定、医療裁判における医師の見解を求める医療鑑定などがある。
このうち、DNA鑑定は、現在では、精度が極めて高く、99%以上の確率での判定ができるとされているが、以前は精度が低かったために間違った判断がなされ、その結果、冤罪が生まれてしまうこともあったわけである。また、医療鑑定などでは、医師により見解が異なることもあり、どの医師を鑑定人とするかにつき争いとなったという経験もした。
ところで、数年前に私が扱った事案で、筆跡鑑定がなされたことがあった。事案は、相続に関するもので、自筆証書遺言の字につき、亡くなった本人が書いたものかどうかが争われて筆跡鑑定がなされたというものである。筆跡鑑定というのは、本人が書いたものを対象筆跡として提出し、それとの比較分析により同一人による筆跡かを判断するのであるが、そもそも人はいろいろな字を書くものであり、精度は高いものではない。たとえば、走り書きと遺言書を書くときの字というのは、おのずと丁寧さが異なる。このときも、「のぎへん」の第一画目につき、右から左にはらっているものと、左から右に書かれているものがあり、問題となった側面もあった。最終的には、同一人物によって記載された可能性が高いという結果となりほっとしたが、精度が高くない鑑定については、それが判決内容に大きな影響を与えかねないことを考えると、鑑定をすること自体微妙な判断が必要となってもくるわけである。
裁判官は(もちろん弁護士も)万能ではないから、専門家の知見が必要なことは言うまでもないが、その鑑定結果は、多くの場合裁判の帰趨を左右することになるため、弁護士としても極めて神経を使う場面である。

2020年5月22日

榎本 ゆき乃「目で見て感じる」

現代社会は情報にあふれている。新聞記事やテレビ等で、当たり前のように、又は、もっともらしく語られていることについて、ともすると、あまり考えもせずに鵜呑みにしたり、分かった気になったりすることはよくあることだが、実際に見てはじめて分かることもあるし、肌で感じることもある。
先日、青森県六ケ所村にある日本原燃を訪れる機会に恵まれた。日本原燃では、原子力発電所から出る使用済み燃料の再処理工場、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター等があり、それらの内部に実際に入って見学させていただくという貴重な体験をした。使用済み燃料棒をせん断・溶解して、高レベル放射性廃棄物とウラン・プルトニウムに分離し、前者はガラス固化して貯蔵し、ウラン・プルトニウムはまた原発の燃料となる・・と聞いても、ちんぷんかんぷんである。実際どんなものかを自分の目で見ても、もちろん全部が分かるわけではないが、例えば、燃料棒はどんなものか、どうやって運ばれてくるのか、どんなところにどんな形で貯蔵されているのか、また、壁の厚さや場所ごとの人の服装、六ヶ所村はどんなところかは多少なりとも分かるわけである。実際に目で見たことからいろいろ感じ、また、日本原燃の方の説明によりまたいろいろに感じたところである。
別の機会に訪れた沖縄では、嘉数高台公園に行ってみた。そこは沖縄戦の激戦地であるとともに、普天間基地が見下ろせる場所で、そこからは、まさに市街地のまっただ中に基地があり、民家のすぐ脇にオスプレイも鎮座しているのが見て取れた。
上記に挙げた原発や基地に関することは、理屈やこうあるべきというべき論だけでなく、いわゆる「現実」を考える必要もあり、立場の異なる様々な意見があるところである。
弁護士の仕事においても、実際に現場や実物を見てはじめて、ああなるほどと分かることもあり、自分の目で見て感じ、また、理屈や正義とともに「現実」を考え、よりよい解決を図ることが重要なことだと思う。

2020年4月10日

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